歴史
300余年、守り継がれてきた都市の静地。
由緒ある城下町として守られてきた立地。
Feature 01
江戸時代より少し遡り、紀州を平定した豊臣秀吉が築城を命じた和歌山城。その後、徳川家康の子・頼宣が入城。以来約250年もの間、徳川御三家の紀州五十五万五千石の居城として、城下は大いに栄えました。四季折々に美しき庭園風景を見せる「和歌山城公園」では、今も多くの人々が訪れ、和歌山の誇りとして愛され続けています。
Feature 02
1713年。紀州藩五代藩主となった徳川吉宗(後の第八代征夷大将軍)は、本物件の位置する現在の湊紺屋町一丁目付近に教養施設「講釈所」を創設。後に、十代藩主・治宝が、「学習館」と改修・改称。学ぶために儒学者の家塾に通うのが常であった時代。藩士だけではなく、向学心のある庶民にも聴講を許すことで、藩の教育水準を高めることに貢献したと言われています。
Feature 03
今も石碑が残る「学習館」跡地を私有地とする酒蔵「世界一統」。その名は、第八代・第十七代内閣総理大臣・大隈重信によって命名。また、エコロジスト先駆者・南方熊楠の実家でもあります。『シャルマンフジ和歌山市駅レジタージュ』が誕生するのはその一画。名だたる博識者、そして多くの人々が学問と研鑽を続けてきた歴史を受け継ぎ、新たな邸宅文化をここに刻みます。
Feature 04
春には桜並木に迎えられ、夏には新緑に、秋には紅葉、そしてまた新たな春の訪れに想いを巡らせながら住まいへと帰る。
まさにそれは、わが家にだけ許された四季のアプローチ。自然に彩られた市堀川、和歌山城の石垣を思わせる御影石貼りの基壇部やエントランスアプローチがえも言われぬコントラストを。この地の歴史と未来をつなぐ誇りある邸宅風景を紡ぎだしています。